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音楽と旅が生み出す、リアルな感動。亀田誠治さんと山北栄二郎が語る「日比谷音楽祭」の未来

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音楽プロデューサー・ベーシストの亀田誠治さんが2019年に立ち上げた「日比谷音楽祭」は、誰もに開かれたフリーでボーダーレスな音楽イベント。8年目を迎えた2026年、JTBが協賛企業に名を連ねました。

きっかけはひとつの縁でした。亀田さんとJTB会長の山北栄二郎は大学で出会い、それから数十年後の再会が組織と組織をつなぐ協賛へとつながったのです。

音楽も旅も人の心を動かし、明日に向かう原動力になる——。
その信念を共有するふたりが「日比谷音楽祭」への想い、そして音楽と旅が描き出す未来の景色を語り合います。

亀田 誠治

1964年アメリカ・ニューヨーク生まれ。1989年に音楽プロデューサーおよびベーシストとしての活動を始める。
これまでにGLAY、椎名林檎、スピッツ、平井堅、いきものがかりほか、数多くのアーティストのプロデュースやアレンジを手がけ、ヒット曲を生み出す。2007年と2015年に「輝く!日本レコード大賞」で編曲賞を受賞、2021年には映画「糸」で日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞。
2019年より親子孫3世代で音楽が楽しめるフリーでボーダーレスなイベント「日比谷音楽祭」の実行委員長を務めている。

株式会社JTB 代表取締役 会長執行役員 山北 栄二郎

ニューヨーク旅で見つけた「やりたかったのはこれだ!」

—— 亀田さんと山北さんはご友人だそうですね。どのような交友があったのでしょう?

山北:大学の同期でした。1年生で語学のクラスが一緒になって、みんなすごく仲が良かったですね。授業だけでなく、飲み会などを通して交流する機会も多くて。亀田さんのことは当時、亀田誠治とフルネームで呼んでいましたよね。

亀田:当時はずいぶんと砕けた仲でしたが、今日はきちんと山北さんと呼びますね(笑)。山北さんは英語サークルの活動にすごく熱心だった記憶があります。僕らが選択したフランス語のクラスも、山北さんはひょいっとクリアして。

山北:福岡出身の私から見ると、亀田さんは東京のおしゃれな人という印象でしたが、気取ったりせず優しく接してくれて、すぐに親しくなりました。毎日、教室にもベースを担いで入ってきて、ちょっとでも時間があると弾いていましたね。

亀田:そう。とにかく人一倍ベースが上手くなりたくて、片時も離さず持ち歩いていました。休み時間ももったいなくて。

山北:これはただ者ではない。ものすごい人になるか、とんでもない人になるか、どちらかだと思っていましたが……結果、とんでもなくすごい人になって。音楽プロデューサーとして、ベーシストとして、名前を耳にするたびに「“あの亀田誠治”だよな?」といつも思っていました。

—— そんな亀田さんが立ち上げたのが「日比谷音楽祭」です。どのような音楽祭なのか、お聞かせください。

亀田:コンセプトは「音楽の新しい循環をみんなでつくる、フリーでボーダーレスな音楽祭」。音楽の聖地とも言うべき日比谷公園大音楽堂(野音)を擁する日比谷公園とその周辺を舞台に、誰もが素晴らしい音楽を体験できるイベントです。トップアーティストのライブのほか、トークやワークショップ、協賛企業による多様な体験も用意しています。

—— では、開催のきっかけはなんだったのでしょう?

亀田:10年くらい前から音楽の聴かれ方や届け方が大きく変わり、1曲単位で聴くスタイルが広がる一方、CDにはさまざまな特典を付けて届けることも増えてきました。
そうした変化のなかで、「人を感動させる音楽をつくりたい」という、音楽づくりの原点が、少し見えにくくなっているように感じていたんです。

ちょうどその頃、じっくりと1カ月間、ニューヨークへの旅に出掛ける機会があり、そこでの経験も大きく影響しています。

—— ニューヨークへ行かれた理由はなんだったのですか?

亀田:実は、僕は両親の仕事の関係で、ニューヨークで生まれました。50代に差し掛かったくらいのタイミングで故郷を本気で見てみたくなり、1カ月ほど滞在することにしたんです。
滞在中、自分が生まれた病院を訪問しまして、なぜか自然と涙がこぼれてきたんですよね。
その瞬間、「こういうことがすごく大事なんじゃないかな」とハッとして。

人が心健やかに過ごし、誰かに優しくなるためには、心が動くような体験が力になることもあるのではないか。音楽も、そうした体験をもたらすものの一つではないか、と感じたんです。音楽に触れて感動する体験を1人でも多くの人に届けたいと強く思いました。

滞在中に見た、ニューヨークのセントラルパークの光景も忘れられません。

毎晩のように無料のコンサートが開催されていて、そこではさまざまなジャンルの音楽を世代もバックグラウンドも異なる人たちが一緒に楽しんでいる。

たくさんの人に音楽が届いているその光景を見て、「これを東京でやりたい!」と思ったんです。

旧友を再び引き合わせた「垣根のない音楽祭」への共鳴

—— 「日比谷音楽祭」のはじまりはニューヨークへの旅だったのですね。亀田さんのお話を聞かれていかがですか?

山北:亀田さんが考えていることと私たちJTBが考えていることが、ぴたりと重なるんです。
JTBのブランドスローガンは「感動のそばに、いつも。」です。私たちは、人や地域、文化との交流を生み出し、お客様の心が動く瞬間をつくり、その感動に寄り添うことを大切にしています。
亀田さんのニューヨーク旅が「日比谷音楽祭」のきっかけとなったように、旅や交流は人の心を動かし、その感動は人々の原動力になりますよね。それは音楽も同じです。

亀田:それは本当にそう、音楽も旅も原動力になるんです。
「もうすぐコンサートだから」「もうすぐ旅行だから」って、予定があるだけで頑張る力が湧いてくるじゃないですか。1人でも多くの皆さんに音楽の感動を届けたい。
そんな想いもあり、「日比谷音楽祭」はパブリックな場所での開催、そして無料にしています。

—— 無料開催の音楽イベントはかなり珍しいですよね。

亀田:もちろん、有料開催という考え方もあります。実際、「理想としては素晴らしい。ただ、無料にしてしまってはサステナブルな運営が難しくなる」という意見も当初はありました。
でも、ニューヨークのセントラルパークで見た無料のコンサートが忘れられなくて、やっぱりそこは譲れなかった。

無料開催を継続するためには、趣旨に賛同し、支えてくださる協賛企業の存在が欠かせません。協賛を募るため、さまざまな企業を訪問させていただき、2019年に初めての「日比谷音楽祭」を開催できたんです。
学生時代から音楽のプロになることしか考えず、リクルートスーツとは無縁だった僕が、冠婚葬祭以外で初めてスーツを着てね(笑)。

—— そして、コロナ禍による2020年開催の中止を経て、8年目を迎えた「日比谷音楽祭 2026」にJTBは初の協賛。どのような経緯だったのでしょうか?

亀田:経緯はずばり、大学の同窓会です。本当はずっと協賛をお願いしたかったんですよ。
でも、お願いする以上、それは組織と組織の話。山北さんとの友人関係にあぐらをかいて安易に「協賛してよ」なんて、僕には言い出せなかった。同窓会で久しぶりに再会して、お互いの近況を知ることができました。
しかも、協賛をお願いしたい企業の候補にJTBの名前が挙がっていたんです。「これは今しかない!」と思いましたね(笑)。

山北:その誠実さが、いかにも亀田誠治ですよ(笑)。常にベースを担いでいた大学時代も今も、亀田さんは変わらず誠実です。
その誠実さに心を動かされたのは言うまでもなく、以前から「日比谷音楽祭」は気になる存在でした。

実は私にとっても、日比谷公園はなじみ深い場所。

日比谷のお隣の丸の内は、2001年までJTBが本社を構えていた場所です。仕事の合間とか営業の帰りとかにね、ふらりと日比谷公園を散歩したり、なにげなく野音のステージを眺めてみたりもしてね。

そして何より、「垣根のない音楽祭」という点に深く共鳴しました。亀田さんのニューヨーク旅の話は、私がヨーロッパに駐在していた当時のことを思い起こさせます。
特に記憶に残っているのがハンガリーのブダペスト。“音楽の都”と呼ばれるくらい、本当に音楽が盛んな土地です。みんなが、街のあちこちで楽器の練習をしているんですよ。街を歩いているだけでピアノの音色が聞こえてきて、それがとてもいいなと。

亀田:本当にそのとおり。屋外の街角で突然、弦楽四重奏がはじまったりしてね、豊かなんですよ。街の人たちも聞こえてくる音楽を寛容に受け入れているんです。
そんな光景を日本でも当たり前にしたいし、そのためにはやっぱり、企業の皆さんのご協力が必要です。
しかも、音楽関係の企業に限らず、多種多様な企業を巻き込みたい。これも「日比谷音楽祭」のモットーです。

イベント開催で街を活性化させ、人を呼び寄せる

—— 「日比谷音楽祭 2026」にはJTBを含む80以上の企業や組織が協賛されています。実に幅広い業種ですね。

亀田:僕たちが目指しているのは、多様な人たちがボーダーレスに楽しめる音楽祭です。協賛企業の顔ぶれにも多様性があってこそ、音楽祭が掲げる「ボーダーレス」という理念に、より一層の広がりと深みが生まれると思っています。

実際にブースを出展して来場者との接点を作りたいという企業もあれば、「ブース出展はいらないから、社員のみんなをボランティアとして参加させてくれないか」という企業もあります。
もちろん、それも企業の色です。その色を音楽祭に宿すためにも、僕は協賛してくださる企業の一社一社と腹を割ってお話ししています。
正直、一社一社と丁寧に向き合うには大きなエネルギーが必要ですが、多様性に富んだ音楽祭を実現するために欠かせないことだと思っています。

それにもうひとつ、協賛企業をつなぐことも、僕らの役割だと考えています。
実際、「日比谷音楽祭」への参加を契機に、企業同士のコラボレーションや協働がいくつも生まれてきています。そうしたことの力にもなりたいんです。

—— 数多くの企業が参加するなか、JTBは、食を通じてサステナビリティを身近に感じていただくブースを出展しましたね。

山北:規格外野菜を使った缶詰「ロス旅缶」や未利用魚を活用した「クセモノズカレー」を販売したり、JTBが世界中で取り組むサステナビリティ活動を紹介したりしました。JTBの社員も多く参加して、音楽祭の雰囲気を楽しんでいました。
私も足を運びましたが、ライブステージはもちろん、子どもたちが楽器に触れて、実際に演奏体験ができるプログラムがとても印象的でした。ドラムやウクレレ、琵琶、尺八など、初めてのことを体験して目を輝かせる子どもたちの姿が目に焼き付いています。

そして、先ほど話にあがった企業同士の連携は、まさに私たちが目指しているところです。
さまざまな関心や目的を持つ企業が集まり、それぞれの立場を越えて連携する。
そのつながりから、新しいビジネスや交流の場を生み出していくことが重要だと思っています。そのような点で非常に良いきっかけができました。

亀田さんが話していたように、イベント開催とは人が集い、人の心を動かす場所をつくることです。イベントをきっかけに人が集い、地域に新たなにぎわいや交流が生まれ、さらに多くの人をひきつけていく。JTBが目指しているのは、そうした好循環です。

私たちの想いを体現する「日比谷音楽祭」は、きっとこれからの東京の魅力を高めていく。会場に足を運んだからこそ実感したことです。

ともに「日比谷音楽祭」を日本の音楽と文化のシンボルに

—— 旧友であり、同じ景色を見据えるおふたり。それでは最後に、今後の展望をお聞かせください。

亀田:「日比谷音楽祭」を通じて日比谷はもとより、東京の新たな魅力を引き出す。より多くの、より多様な皆さんにご参加いただける音楽イベントに育て上げることはもちろん、山北さんが言葉にしてくれた地域活性化も僕たちの目標です。

“野音”の愛称で親しまれてきた日比谷公園大音楽堂は、現在、再整備が進められています。そのため2026年は、東京国際フォーラムにも新たにステージを設け、音楽祭の舞台を日比谷公園周辺の街へと広げました。
皇居に隣接するこのエリアは、大都会でありながら歴史と品格を感じさせる、日本らしい空気があります。

僕は音楽だけじゃなく、この場所の魅力を日本の皆さんはもちろん、海外の皆さんにも届けたい。
「日比谷音楽祭」はオンライン配信の質も高く、年々視聴者も着実に増えています。でも、欲を言うなら、生の空気を感じてもらいたい。
日本の音楽文化には、マンガやアニメなどと結び付いたJ-POPをはじめ、伝統音楽から現代音楽まで、多様な魅力があります。
僕は「日比谷音楽祭」を、そうした日本の音楽と文化の幅広さを感じられる、シンボルのようなイベントにしたい。

JTBと手を携えたことで、目指す未来に向けた新たなスタート地点に立てたのではないか、と期待しています。

山北:生の空気、それは私たちが届けたいものでもあります。
旅行業界も音楽業界も、コロナ禍に大打撃を受けました。あの経験を通じて、私たちは「交流とは何か」を深く考え直しました。そこから見えてきたのは、人と人が交わること、そしてリアルな体験の尊さです。直に見て、直に触れ合うことでしか得られない感動が確かにあります。

AI時代のいま、リアルな体験の重要性はむしろ増しています。AIやデジタル技術によって、音楽や旅の楽しみ方はさらに広がっています。
一方で、人と同じ場所や時間を共有し、直接見たり、聴いたり、触れたりすることで生まれる感動もあります。デジタルとリアルそれぞれの価値を生かしながら、心に残る出会いや体験を届けていきたい。

「日比谷音楽祭」との共創は、その想いをかたちにする取り組みになると考えています。

文:大谷 享子
写真:大童 鉄平
編集:花沢 亜衣

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