旅はもちろん、あらゆるものをガイドする
50周年に振り返る「るるぶ」の足跡
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ブランド誕生50周年を迎えたJTBパブリッシングの旅行情報誌「るるぶ」。通巻で6,274号、累計発行部数が約4億9,500万部(ともに2024年2月現在)という実績は、「発行点数世界最多のガイドブックシリーズ」として2010年にギネス世界記録™にも認定されています。
ときにはテイストを変え、スタイルをあらためながら、旅行者の声にこたえてきた「るるぶ」。そこで今回は「るるぶ」の編集部に、いままでの足跡を振り返りながら、「るるぶ」の進化や、制作にまつわるエピソードなどを聞いていきたいと思います。
JTBパブリッシング 情報メディア編集部 部長 田村 知子
1995年にJTB(当時の出版事業局)に入社して以降、キャリアの半分以上で「るるぶ」の編集制作を担当。定期購読誌「ノジュール」の編集長を努めたほか、Webサイト制作などデジタル媒体にも携わってきた。もともと旅好きで、普段の休日も近場へ旅行することが多い。コロナ禍では旅行ができないなか、身近な都内を自分の足で歩くことで、街から街への広がりやつながりを感じられる楽しさを発見した。
「はじめの、るるぶ」は、「あなたが思う、るるぶ」じゃない?!
※ムック=雑誌(magazine)と書籍(book)を混ぜた和製英語で、雑誌と書籍それぞれの性格をもつ出版物のこと。
田村:「るるぶ」といえば、多くの方がこのムック(※)タイプの「るるぶ情報版」をイメージしてくださることでしょう。1984年に登場し、現在も続いています。国内・海外・目的などのテーマ別に「るるぶ沖縄」「るるぶイタリア」「るるぶ温泉&宿」といったタイトルの冊子が、書店に並んでいる光景が思い浮かびますよね。コンスタントに年間150~200種類の商品を発行しています。
女性モデルが毎号表紙を飾っていた月刊誌「るるぶ」
一方、今に続く「るるぶ」の最初は、1973年に創刊した雑誌「るるぶ」です(1997年に休刊)。当初は季刊で、まもなく月刊化されたこの商品は、実は現在の「るるぶ情報版」とは、かなり違ったテイストの雑誌でした。簡単に言えば女性向けの旅雑誌という位置づけで、ご覧のとおり大人っぽい表紙だったんですね。
このあたりのことは私が入社する20年以上前のことなので、創刊当時「るるぶ」編集部にいた私の先輩から聞いたことを中心にお話ししたいと思います。
まず、旅行ガイドブックというものは「るるぶ」創刊前からも当然ありました。JTBの前身である日本交通公社で、「鎌倉」「高山」「金沢」などの観光地を紹介した街歩きガイド「ポケットガイド」が出ていたほか、「るるぶ」創刊の年には観光地以外の市町村まで掲載した郷土史的なガイド「新日本ガイド」などが発刊されました。
1970年の大阪万博によって多くの人が個人旅行に目を向けるようになると、国鉄(現在のJR)が「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンを展開。それにともない、社会へ進出し始めていた若い女性の旅行熱も高まっていきました。「anan」「non-no」もこのころ創刊され、旅行が女性のファッションアイコンになってくると、旅行・交通業界も女性を意識し始めます。当社も、すでに発行していた月刊誌「旅」には含まれない読者層を取り込もうと、「旅」の別冊として1973年に「るるぶ」を創刊。こうして初の女性向け旅行雑誌が誕生しました。
―― 創刊号はどのような内容だったのですか。
田村:創刊号のテーマは「ひとり旅」でした。それだけでもチャレンジングな出発だったといいます。「女性のひとり旅」は、当時まだ当たり前のことではなく、あえてこれをテーマにすることで「日本中へ、そして世界へ旅に出ようとする女性たちを応援する旅行誌」として認知されることをめざしたそうです。その後、「お寺」「民芸品」「花」と特集が続き、「温泉」「港町」「街道」「市場」の特集なども好評で、なかでも「小京都」は読者から新鮮に受け止められ大きな話題になったと聞いています。
いまとなっては、どれも旅の目的としてよく知られたテーマですが、これを先駆けてやったのが「るるぶ」で、「旅への提案を半歩でも先取りしていくように」という編集長の教えが反映されたものだったようです。1983年7月号では福島県の各地を紹介するなかで、当時まだ無名だった「喜多方ラーメン」を取り上げ、それを機にブームが起きて一躍全国区になったこともありました。また1990年1月号からは、江國香織さんの人気小説で映画にもなった「きらきらひかる」の連載がスタートするなど、大人のテイストも大事にしていました。
創刊号の奥付(※)を見てもらうとわかるのですが、「るるぶ」は「見る・食べる・遊ぶ」の語尾をとった造語なんですね。「見る」情報が主流だった当時の旅行情報誌に、「食べる・買う・知る・考える・着る(ファッション)」などの要素も持ち込んだことは画期的で、大きな反響をいただいたようです。創刊後は女性層からのレターや投稿が編集部に寄せられ、本誌への感想はもちろん、「るるぶ」を携えた読者自身の旅行報告なども掲載したことで、読者参加ページがにぎわうようになったとのこと。
※ 奥付:本のタイトル、著者名、発行者、発行所、発行年月日などが記載されている部分のこと
余談ですが、当時の学生旅行は「カニ族」と呼ばれ、リュックサックにシーツも詰め、周遊パスを手に日本各地のユースホステルを泊まり歩くような貧乏旅行が主でした。本当に「見る」だけで精一杯で、名物料理に舌鼓を打つなどという贅沢はできなかったそうです。ですから、私の先輩は卒業後に日本交通公社へ就職し、「るるぶ」編集部で「食べる、遊ぶ、買う」という旅の概念に触れ、なんて多様なのだろうと驚いたそうです。
現在へ、そして世界記録へとつながる「るるぶ」がスタート!
田村:創刊から10年ほどして、「るるぶ」に大きな変化がありました。皆さまもよく知る「るるぶ情報版」の登場です。1984年に「月刊るるぶ」の別冊として、ムックの「るるぶ京都」(通巻1号)が発行されました。当初は地域活性応援という意義も色濃く、夏期にくらべ観光客数が大きく落ち込む冬期の観光促進を期して企画された「るるぶ白い北海道」が通巻4号というのも象徴的です。
やがて東北、伊豆箱根、京都奈良、横浜鎌倉湘南…と人気観光地の「るるぶ情報版」が次々発刊していくなかで、観光地としてあまり認識されていない地域にも、スポットを当てていくようになりました。そのきっかけとなったのが、1987年発行の「るるぶ埼玉」です。埼玉というひとつの県を取り上げた初めての試みだったのですが、気軽に出かけたくなるような、地元で人気の店や市街地の観光スポットなどを紹介したところ、埼玉県内およびその近隣で大変な反響があったそうです。以降、全国の自治体と協力して、地域を活性化させる取組みのひとつとして「るるぶ情報版」の全国展開をはかっていきました。このころ、私は高校生で、家族旅行の準備に「るるぶ四国」を初めて自分で買いました。地図やモデルコースが掲載されていて、それを片手に自慢げに車のナビをしたのがドライブの原体験です。
―― 田村さんも「るるぶ」の読者だったんですね。それが、やがて仕事になったと。
田村:私は「るるぶ情報版」が、すでに全盛期となっていた1990年代半ばに入社しました。「るるぶ情報版」は販売・広告ともに好調。1997年の「るるぶ鳥取」で全都道府県を制覇し、より狭域を対象にした「るるぶ川崎市」「るるぶ八王子市」などの地域協賛型も発行されました。2010年には「るるぶ情報版」が「発行点数世界最多のガイドブックシリーズ」としてギネス世界記録™に認定されています。
現在ではさらに、地方自治体や観光協会などからのご要望を受け、限定されたエリアを「るるぶ」スタイルで詳しく紹介し、観光のお客様に無料でご利用いただける「るるぶ特別編集版」というオリジナルのるるぶ冊子も制作しています。これについては、JTBeingでも以前に取り上げていますね。
デジタル化などの社会変化も、「るるぶ」の可能性を拡げた。
―― 1990年代半ばの入社なら、すでにデジタル化の波が来ていたのでは。
田村:そうですね。当時、流行語にもなっていた「マルチメディア課」という部署では、カーナビのような機能をもつDVDソフトの制作販売などに取り組みはじめていました。さらに1990年代後半からはさまざまなWebサービスが登場し、観光情報の検索や宿泊予約がWebでできるようになってきたことで、当社でも「るるぶ」の名を冠した観光情報サイトやメールマガジン、公式SNSなどを立ち上げていくことになります。社内で蓄積してきた観光地や宿などの情報を、紙からデジタルへデータベース化する作業もこのころから始まりました。
デジタル化やWebへの移行が進んだことで、一般的な出版市場の傾向と同様に、ムック・書籍の発行部数はかつてに比べ減っています。ただ、マイナス面ばかりではありません。デジタルで新たな接点づくりや、年間を通じた読者への情報発信が可能になり、どのような記事のニーズが高いか、などのデータが読者の実際の行動を知る手がかりになっています。また紙媒体の情報鮮度や更新性といった弱点をカバーすることもできる。そんなプラスの効果も生まれています。
最近の「るるぶ」を見ていただくと気付かれると思いますが、QRコード(※)なども載せていて、Webと連動した情報提供をしています。新しいスポットができたときなども、書籍の発行スケジュールに縛られずに取材へ行き、そこで得た情報をWebで先行発信しています。Webサイトを含めたるるぶ全体で、適時に情報を発信して読者に届けることができる、書籍への掲載が後になっても構わないんですね。
※ 「QRコードは(株)デンソーウェーブの登録商標です」
以前は当社も、デジタル部門と書籍部門で仕事がはっきり区分けされていました。しかし現在は、部門こそ分かれてはいるものの、情報を共有しながら運営しています。それぞれの媒体の特性を生かし、例えばWebでは読者や新規ターゲットとの接点を増やすことを主眼とする、など役割や収益構造を補完する関係にあります。
Webメディアでは現在、「るるぶ&more.」という女性向けおでかけメディアサイトや「るるぶKids」という親子向けのメディアサイトを運営し、閲覧数・登録者数の拡大を目指しているところです。今後は、個々のユーザーの嗜好にあったおでかけ情報の提供など、旅やおでかけに役にたつサービスをさまざまに展開していければと考えています。
―― ほかにも「るるぶ」に、大きな転機などありましたか。
田村:転機といいますか、やはり新型コロナウイルスの影響は大きく深刻でした。ただ、旅だけに留まらないという意味でチャンスともなり、家で過ごす時間をより楽しくするための、「知る、つくる、学ぶ」を新機軸に据え、知的好奇心を満たすような「るるぶ」へとガイド領域を広げました。たとえば、未来の旅行先として注目が高まる「宇宙」。宇宙旅行の最新事情や宇宙の構造などをご家族でわかりやすく学びながら、宇宙旅行を誌上で楽しめる、そんな学習誌テイストの一冊です。
「るるぶがついに地球を飛び出した!」と、いろいろなメディアにも取り上げていただき好評でした。また、コロナ禍に「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に登録されたことをうけて、宇宙の次は時空を超え、1万年前の縄文時代をガイドする「るるぶ縄文」にも挑戦しました。
田村:最近は人気アニメやゲーム、ときにはテレビ番組などとのコラボ企画商品もあります。ある人気アニメとのコラボでは、舞台となっている地方都市を徹底的に紹介した聖地巡礼「るるぶ」を発行。コラボしたアニメ自体が“地元愛”をテーマにした作品だったことから、作品のモデルになったお店の方にも誌面に登場していただきました。地域をあげてファンの方々を歓迎してくださり、地元とファンの関係に好循環を生み出していると聞き、嬉しくなりました。鉄道会社では駅にそのアニメのキャラクターを掲示したり、市長が自らファンイベントに参加したりと、みんなで盛り上げているんですね。
地域へ出かけ、取材で「交流」し、「るるぶ」は全国展開を実現。
―― 「るるぶ」には、読者や地域の人たちとの、いろいろな交流がありそうですね。
田村:「るるぶ」の名前が旅行者や旅行先に浸透してきたことで、各地の観光課や取材先からも期待の声をいただくことが多くあります。また、たくさんのお客様に来ていただけたと嬉しいご報告をいただくこともあります。取材時には、編集企画の相談にのっていただいたり、地域おすすめの取材先をご紹介いただけたり。そんな関係は何事にも代えがたいものです。さらには、編集部には旅のプロとして、地域の未来を考える会議などへの参加オファーが来るようにもなりました。
つまり、「るるぶ」が全国展開できた理由のひとつに「交流」があったといっても過言ではありません。全国各地の自治体との交流から、地方の活性化に協力する話へとつながり、地域別の「るるぶ情報版」として花開いた。地域連携や地域交流を促進する「るるぶ」の発行は、「地方創生」「地域活性化」という言葉もなかった時代に、その先駆けとなったのではないかと自負しています。
世の中に目を向け、「るるぶ」も変化。これからも、あなたの傍らに。
―― 今後の「るるぶ」は、どのようになっていくのでしょう。
田村:市場や読者のニーズは、その時代で移り変わっていくものです。それを捉えつつ、ちょっと先を行く工夫を怠らないことが大事だと考えます。旅行ガイドブックのNo.1ブランドとしてご支持いただいていることで、変えにくい側面もあるものの、やはり世の中で長くヒットし続けているものは変わり続けています。だから、世の中の変化をきちんととらえていくこと。紙なのかデジタルなのか、見せ方はこれでいいのか、どの世代に何が必要なのか、といったことを考え続け、これからも「るるぶ」が旅行やおでかけ、そのほかあらゆる楽しいことの傍らにあるものとして、ずっと役にたち続けるよう努力していきたいと思います。
そして、これまでもこれからも、いちばん大事だと思うのは制作現場や、そこでの交流・議論から生まれるアイデアや意欲ですので、必要な変化は現場から起こしていけたらと思います。コロナ禍の間、社内は少し大人しくなった面もありましたが、いろいろな意見をぶつけあい、自分たちで変えていこうという空気が生まれるといいなと。そして個人的にも、楽しい旅をずっと続けていきたい(笑)。それが仕事にもつながるという状況を、とても感謝しています。
書籍でもWebでも、だれかの手や思いが入っている情報には、自分だけでは気づけないことに出会うチャンスがあると思っています。Web媒体では、好きなものや興味あると予想されるものに知らず知らず誘導されてしまう一面もありますが、どんな媒体でもそれに触れることで予想外の発見や、意外なものへ興味がわくことがある気がします。ですので、ぜひオープンマインドで情報に接していただき、より多くの方たちに、旅の新しい楽しみ方や意外な面白さに出会ってほしいと願っています。
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