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「感動のそばに、いつも。」を礎に。JTBが邁進するグローバルスポーツビジネスへの挑戦【前編】

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人々の興奮を呼び覚まし、心に深い感動を刻むスポーツ。ブランドスローガンとして「感動のそばに、いつも。」を掲げるJTBもまた、人々の感動に寄り添いたいという想いを胸に前進しています。そうしたJTBの姿を象徴するのが、10年以上にわたって力を注いでいるスポーツビジネスです。

今回はJTBにおけるスポーツビジネスの領域を牽引してきた五十嵐善寿と、スポーツビジネスの最前線で奮闘する鳴尾仁秀が、前後編の2回にわたり、JTBが切り拓いてきた道とスポーツがもたらす可能性への期待を語り合います。
前編では、JTBが邁進してきた道を辿りながら、スポーツビジネスにかける思いを聞きました。

Global Sports Business
Development Senior Director
五十嵐 善寿

1993年日本交通公社入社。長年にわたり国際スポーツイベントに従事し、欧州本社勤務を経て、2014年スポーツビジネス推進室長に就任。英国企業との合弁会社を設立後、取締役副社長を経て、現在はロンドンを拠点に新たなグローバルスポーツの事業開発を担当している。

ツーリズム事業本部 スポーツ・エンタテイメント共創部
推進担当部長 鳴尾 仁秀

1998年JTBへ中途入社。入社後関西エリアで法人営業、訪日インバウンド事業を担当。2016年からスポーツビジネスに従事。オリンピック・パラリンピック5大会(リオ、平昌、東京、北京、パリ)の事業企画を担当したのち、2024年からメジャーリーグベースボールの事業企画を担う。

華やかな舞台を支えるスポーツビジネスの世界

—— 五十嵐さんはJTBにおけるスポーツビジネスのパイオニア。まずは五十嵐さんがスポーツビジネスに携わることになった、きっかけからお聞かせください。

五十嵐:いまから30年ほど前、まだまだ駆け出しのころでしたね。とあるテレビ局のプロデューサーから通訳兼渡航のサポートを依頼され、1996年に開催されたアトランタオリンピックに帯同したことがきっかけでした。
オリンピックは世界最大のスポーツの祭典です。オリンピックで活躍した選手を日本に招き、日本のテレビ番組に出演させたい。私はプロデューサーの方に帯同しながら、交渉の最前線を目の当たりにしました。陸上界のレジェンドを何とか日本に招聘したい。とはいえ、選手との直接交渉は許されず、有名選手には必ずといって代理人の存在があります。
代理人はビジネスパーソンですから、交渉は非常にシビア。映画さながらのマネーゲームが繰り広げられます。
華やかな舞台の裏側にあるスポーツビジネスの世界を知り、一気に魅了されました。私もいつか世界の舞台で活躍したい、世界を相手にビジネスがしたい、と。

—— 世界への憧れが現実に変わった転換期はいつだったのでしょうか。

五十嵐:2002年、日韓共同開催のFIFAワールドカップです。選手もサポーターも世界各国から訪れる人たちをスムーズに輸送するには、国際経験の豊富さが不可欠です。そうした観点から、大会に関わる公式輸送を任されたのがJTBでした。
アトランタオリンピック以来、陸上競技をフィールドに交渉の舞台に何度も立ち合ってきましたが、日韓ワールドカップの開催決定を機にサッカー部門へと配置転換され、そこから約10年間、日本代表のサポート役として選手に帯同していました。選手や役員方、スタッフの皆さん全員分のフライトや宿泊手配はもちろん、ボール拾いもユニフォームの洗濯もしましたよ(笑)。
気持ちは、私も日本代表の一員。裏方として無我夢中で働き、選手たちが世界を相手にどんどん強くなっていく過程を目の前で見ることができた。世界を舞台に働くことの醍醐味を肌で感じましたね。

—— 一方の鳴尾さんはまさに今、スポーツビジネスの最前線に立たれています。鳴尾さんがスポーツビジネスに携わることになった、きっかけをお聞かせください。

鳴尾:2016年4月、当時、五十嵐さんが室長を務めていた「スポーツビジネス推進室」に配属になったことです。正直なところ、異動辞令を見たときは面食らいました。
スポーツ関連の部署を希望していたわけでもなく、個人的にも中学、高校と水泳をやっていたくらいです。そんな自分にいったい何ができるだろう、と。

五十嵐:スポーツビジネス推進室は、2013年12月に発足した部署です。同年9月、2020年夏季オリンピックの開催地を決定するIOC総会で発表された「Tokyo.」の一言で設立が決まりました。
当時の私はヨーロッパに赴任していたため、スポーツ事業の経験と海外赴任の経験を買っていただけたのでしょう。室長を拝命し、すぐに日本に帰国しましたが、フタを開けてみると中身は真っ白。
「国際大型スポーツイベントへの取り組み強化」という大筋はあるものの、推進室として何をすべきなのか、具体的なことは何も決まっていなかったんです。

スポーツに深く関わることは、人の感動に深く関わること

—— 具体的な道筋なく発足したスポーツビジネス推進室。五十嵐さんはどんなロードマップを描いたのですか。

五十嵐:ライツ(権利)ビジネスです。テレビ局への帯同で目の当たりにした代理人との交渉も、いかに好条件でテレビ出演の権利を買い取るか、まさにライツビジネスでした。
20代の駆け出しだった私はあのとき、テレビ中継にもチケット販売にも、マーチャンダイズやスポンサーシップにも、スポーツに関わるあらゆる事象にライツが生じ、そのライツを取得することがビジネスのスタート地点であることを学びました。
これが世界最大のスポーツの祭典であるオリンピックともなれば、ライツを取得することの影響力は絶大です。私は1業種1社の原則のある、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会のオフィシャルパートナーを目指すことを決めました。
結果的に旅行業としては、私たちJTBを含む3社共存の特例に着地しましたが、JTBは2019年に日本で開催されたラグビーワールドカップにも目を向け、こちらは戦略どおりに独占契約を獲得。非常に大きな一歩でしたね。

—— 旅行会社であるJTBがライツビジネスに参入する。大きな決断だったはずです。

五十嵐:そうですね。私がライツビジネスへの参入を宣言したとき、役員の面々は一様にポカーンとした表情でしたから(笑)。それでもJTBとして国際スポーツへの取り組みを強化すると決めた以上、国内で圧倒的なポジション、つまりはスポーツビジネスの世界でナンバーワンを目指さなくてはいけません。そのためには人々を運び、アテンドするという旅行業の枠を超え、もっとスポーツイベントのど真ん中でビジネスをすべきだ、と強く感じていました。

その点、ライツビジネスはまさにど真ん中です。イベント運営のより深部に入り込み、大会に貢献できるのはもちろん、テレビ中継を通じ、JTBのロゴが世界中に発信されます。しかも、スポーツへの貢献は初めてのことではありません。メジャーリーグベースボール(以下、MLB)を例にしても、JTBは1970年代から観戦ツアーを企画し、国際イベントの運営に関しても蓄積されたノウハウがあります。旅行会社として積み上げてきた経験を生かしながらスポーツイベントのど真ん中を目指すことは、私たちJTBが掲げる「交流創造」という事業ドメインにも重なります。
例えば、独占契約を果たせた2019年のラグビーワールドカップは象徴的です。JTBは国内唯一となる公式ホスピタリティプロバイダーの権利を取得し、約7万人のお客様にプレミアムな観戦体験をお届けしました。これは「スポーツホスピタリティ」と呼ばれ、非日常的なスポーツ観戦の場で人と人をつなぐ、つまりは社交場として活用する考え方です。特に欧米ではビジネス交流の一つとして根付いていますが、スポーツホスピタリティを日本に持ち込んだのはJTBが初めて。これも旅行会社として海外に根を張り、人を運び、人をつないできたJTBだからできた取り組みです。

鳴尾:ただ、現場に立つ身としては戸惑いましたね。スポーツビジネス推進室に異動になった当初は、まるで別の会社に転職したくらいの衝撃がありましたから。何よりライツを取得するには大きなマネーが動き、ライツを取得した以上、マネタイズしなくてはいけません。言うなれば、ライツビジネスは先行投資です。大きな投資を成功させられるかどうか、企画した旅行を売り上げる以上の重責がのしかかりました。

—— その戸惑いと重責、どう乗り越えられたのですか。

鳴尾:スポーツビジネスには大きな可能性がある。その確信に尽きます。私は2016年にインバウンド事業からスポーツビジネス推進室に異動になり、最初に任された仕事は同年に開催されたリオデジャネイロの観戦者サポート業務でした。
当時はライツビジネスではなく、JTBがお連れしたお客様にトラブルがないようサポートする役目でしたが、あのときの感動は忘れられません。お客様に大きなトラブルなく大会が終わり、リオで日本人選手が獲得したメダル総数は41個。のちに塗り替えられるものの、41個は当時の史上最多記録です。

選手が躍動し、観客の皆さんが沸き立つ一瞬一瞬に現場の人間として立ち合える。これってまさに「感動のそばに、いつも。」ですよね。スポーツに深く関わることは、人々の感動に深く関わること。リオオリンピックの現場でわき起こった感動が、JTBが掲げるブランドスローガンにぴたりと重なったんです。
そして、大会のライツを取得できたなら、JTBとしてやれることの幅がもっと広がる。そうである以上、挑戦するしかありません。

「感動のそばに、いつも。」を礎に、国内トップの先へ

—— その確信は現実となり、2024年1月、JTBとMLBは国際パートナーシップを締結。スポーツビジネスにおける象徴的な出来事となりました。

五十嵐:これは我々としても、とても大きな挑戦でした。契約締結を発表したのは2024年1月ですが、動き出したのは2023年の中頃。大谷翔平選手のドジャース移籍が決まる前のことです。
もちろん、山本由伸選手や佐々木朗希選手のメジャー挑戦も決まっていません。それがまさか、複数の日本人選手が所属する球団がワールドシリーズ連覇を成し遂げるとは。
ライツビジネスの醍醐味であり怖さですが、MLBとの契約が動き出した当初、マネタイズが成功する可能性は未知数。正直なところ、役員は難色を示していました。
しかし、私たちJTBが目指すのは、スポーツビジネスというフィールドにおいて圧倒的なポジションを獲得することです。ほかの企業が挑戦しないようなことに挑まなければ、ナンバーワンにはなれません。役員を説得するというより、「私、失敗しませんから」という精神でしたね(笑)。とにかく私を信じてくれ、と。
それは冗談にしても、ナンバーワンを目指すには固定観念を捨て、唯一無二に挑戦する勇気が必要です。そして、自らの挑戦を信じること。
例えば、アスリート社員であるフェンシングの松山選手をJTBの一員として採用したのは私です。採用当時から彼の実力は抜きん出ていましたが、「彼ならいける」という直感を信じた結果、松山選手はパリ2024オリンピックTEAM JAPANフェンシングフルーレ団体で金メダルを獲得した。
大きな挑戦をするには、自らの直感を信じることも不可欠です。

—— では、スポーツビジネスにおけるJTBの現在地、その先の展望をお聞かせください。

五十嵐:スポーツビジネス推進室の発足を起点にライツビジネスへの挑戦を始めてから約10年。日本に初めてスポーツホスピタリティというスポーツ観戦の在り方を示し、MLBとの国際パートナーシップについてもJTBがアジア初です。
目標としていた国内ナンバーワンのポジションを獲得できたと自負しています。これがJTBの現在地といえるのではないでしょうか。

鳴尾:日本でスポーツビジネスといえば、JTB。この認識が広まりつつあることは、現場でもひしひしと感じます。私たちがこの10年間に築いてきた実績に着目し、「知見を貸してくれないか?」と声を掛けてくださる海外企業もあるほどです。
でも、ここで満足はできません。MLBにしても欧州サッカーにしても、スポーツ観戦のために海外を訪れることが当たり前の時代です。長く渡航やアテンドをお手伝いしてきたJTBですが、これからはもっともっと深く、スポーツ観戦の体験そのもののクオリティを上げる努力をしなくてはいけません。

五十嵐:その一つがプレミアムな観戦体験をお届けするスポーツホスピタリティですが、次なる世界的なムーブメントはエクスペリエンス、つまりは体験です。AIを活用した、まるで競技場に降り立ったような感覚を味わえるサービスが登場し、もっと未来にはバーチャルに再現された有名選手が隣に座り、試合解説をしてくれるようなサービスも生まれることでしょう。
世界のスポーツツーリズムには100兆円規模の市場価値があり、世界は今、より臨場感ある体験を求めています。
日本にはクオリティの高い体験を提供できるだけのハードが少なく、スタジアムを例にしても、海外のように貴賓室を備えた競技場はわずかです。それでも裏を返せば、日本には伸びしろがある。十分なポテンシャルがあると感じています。

鳴尾:そのポテンシャルをいかに引き出すのか。これがJTBの役目です。JTBは長きにわたり、体験価値の向上を目指してビジネスをしてきました。お客様の目線に立ちながら、旅マエ・旅ナカ・旅アトの一連を見据え、感動的な体験を提供する。この姿勢はスポーツ観戦のクオリティを上げるにも不可欠です。

五十嵐:その姿勢を何よりも象徴しているのが、JTBのブランドスローガンである「感動のそばに、いつも。」です。スポーツの感動をより強く、より多くの皆さんに伝えたいという強い想いがあるからこそ、JTBは世界の舞台に挑戦できた。そして、国内におけるスポーツビジネスのナンバーワンを自負する以上、私たちは日本全体のスポーツ文化や観戦環境をよりグローバルに引き上げることも視野に、これからも挑戦を続けます。

~後編は近日公開予定です~

文:大谷享子
写真:大童鉄平
編集:花沢亜衣

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