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震災から1年。JTB金沢支店が地域と取り組む能登半島の復興支援とこれから

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2024年1月1日、石川県能登半島を襲った大地震。JTB金沢支店は発災直後から、自治体やさまざまなステークホルダーの皆さまと連携し、観光客の救援、2次避難所対応、そして地域の復興支援まで、刻々と変化する状況に対応してきました。震災から1年、JTBグループとしての支援活動の裏側と、能登の未来への思いについて、金沢支店を率いた2人に話を聞きました。

金沢支店 支店長 伊藤 隆明

1992年入社。店頭営業、法人営業、海外商品企画造成に加え、経営企画や総務部門などJTBグループ内のさまざまな業務を経て2022年より現職。金沢支店には2度目の赴任となるが、2015年の赴任時には北陸新幹線が金沢まで延伸し、今回は敦賀まで延伸となったことから、北陸新幹線には強いご縁を感じている。

金沢支店 営業課 課長 江川 大介

1997年入社。長野支店にて、法人営業担当として社員旅行やMICE運営に従事。その後、法人営業名古屋支店(現 名古屋事業部)、仙台支店を経て2020年より現職の金沢支店へ。能登半島地震および奥能登豪雨災害では、被災地から生活環境の整った旅館・ホテルなどの宿泊施設へ移る2次避難対応を担う。

初動から復興へ。刻まれた支援の記録

——2024年1月1日、地震発生の一報を聞かれたときのことを教えてください。

伊藤:私はお正月休暇で帰省中の愛知の自宅におり、石川県内の旅館のおせち料理を開けようとしたとき、ニュース速報第一報で知りました。その日以前にも地震が何度かありましたので、最初は大きな被害がなければいいが…と考えていました。しかし、刻々と入ってくるニュースで被害の大きさが分かってきて、すぐに金沢支店役職者や宿泊仕入部門と連携し、お客様と社員の安否確認を始めました。

江川:私も金沢を離れていまして、2日に戻ったのですが、その道中が今でも印象に残っています。金沢方面に向かう車がほとんどなく、すれ違うのは自衛隊の車両と応援車両ばかり。反対に金沢から出ていく車線は大渋滞でした。高速道路は加賀インターまでしか通行できない状況で、サービスエリアには自衛隊の車両がぎっしりと並んでいました。市内に入ると救急車のサイレンが鳴り響いていて、ここが被災地なのだということを実感させられました。

JTBグループの総力を結集、広がる支援の輪

——発災直後から状況が刻々と変化していくなかで、皆さんはどのような対応をされたのでしょうか。

伊藤:1月2日の朝、役員と共に支店に到着し、すぐに支店内緊急対策本部を立ち上げ、本社とも連携しました。石川県内の七尾市、輪島市、珠洲市などの地域には約2,000名のJTBのお客様がいらっしゃいましたので安否確認・所在確認を最優先しました。元日16時10分の地震発生時点では、まだチェックインされていないお客様や観光中だった方もおられたこと、また、道路の土砂崩れ等による通行止めや携帯電話も繋がりにくい状況だったことから、全員の方の安否確認には3日間を要しましたが最終的に全員のお客様が無事であることが判明した時は本当に安堵しました。

1月3日、輪島市内の二つの旅館宿でお客様が土砂崩れによる道路通行止めで孤立している、また、避難所に避難している旅館のお客様から帰る手段がなく、早く帰りたいと希望されている方がいるという情報を受け、「お客様を少しでも早くご自宅にお帰ししたい」という思いで、バスによる救援を決断しました。道路の隆起や土砂崩れなどが発生し、通常片道2時間の道のりが約10時間かかる状況でしたが、副支店長らがマイクロバスで現地に向かいました。バスが宿の前まで行けず、崖崩れの手前で待機し、そこまでお客様に歩いていただかなくてはならない、という厳しい状況でしたが、深夜には全員を金沢市内のホテルまで無事にお送りすることができました。

1.5次避難所に設置した2次避難所受付デスクの様子

江川:1月4日には、県からの要請を受け、2次避難所への受入体制整備もスタートしました。高齢者の方やひとり暮らしの方など、さまざまな状況の避難者の方々がいらっしゃって、なかには初めてホテルに泊まる方も少なくありませんでした。自衛隊や県による輸送で避難される被災された方の到着に合わせた2次避難所へのマッチングを担いましたが、情報が錯綜するなかでの対応で、一日に1,000件近くの電話・メールが来るような状態でした。そのようななかでも、避難される方々の状況に寄り添いながら、できる限りきめ細かな対応を心がけるようにはしていました。

——支店の社員の方々は、どのように対応されましたか。

1.5次避難所から2次避難所への移動手段としてバスでの斡旋を行った

伊藤:通常業務に加えて震災関連の業務も次々と入ってきて、最初は手探り状態でした。例えば、ホテルや旅館との調整では、高齢の方や家族連れの方々などの状況に配慮しながら、社員一人一人が「被災者の方が一番大変な思いをされている」という気持ちを持ち続け、部署や役割を超えて自主的に動いてくれていたことで緊急事態を何とか乗り越えることができたと思います。尽力してくれた社員には、支店長としてとても感謝しています。

——さまざまな課題に直面されるなか、JTBグループ全体ではどのように連携されたのでしょうか。

江川:JTBコミュニケーションデザインは大規模イベント運営の知見を生かし、金沢市・小松市に設置された1.5次避難所内での「2次避難所受付デスク」設営・運営を担当し、JTBビジネストランスフォームは、名古屋のオフィスから遠隔で、2次避難所となる「ホテル・旅館」の受入整備や、2次避難された方のデータの管理システムを構築。さらに全国の拠点間で連携し、さまざまな対応をしてくれました。各社が得意分野を発揮することで、より迅速で効率的な支援活動が可能になりました。

伊藤:グループ会社それぞれが持つ専門性が、今回の対応での大きな力となりましたよね。コールセンターを立ち上げる際も、避難者の方々の情報を正確に記録し共有できるシステムを短期間で整備してもらうことができました。手前味噌ではありますが、JTBグループの総合力を結集できたことが、混乱のなかでの迅速かつ円滑な運営につながったと感じています。

江川:県庁との調整や2次避難所整備など、走りながら考え、即断即決の連続でしたが、「被災された方々の生活を少しでも支えたい」ということをひたすら考えていました。震災対応の経験者、特に東日本大震災や熊本地震を経験した社員から、具体的なアドバイスをもらえたことも心強かったです。また、金沢での現場対応では、本社や名古屋事業部からも協力部隊がきてくれるなど、グループ全体としての支援にも助けられました。

地域と歩む、能登の魅力再生への挑戦

——被害が落ち着いた後も、多くの課題があったと思います。実際にどのような課題がありましたか。

冬の金沢の風物詩、兼六園の雪吊り

伊藤:被害の少ない金沢市内では、観光客が遠のく風評被害が課題となりました。また、能登半島の復興の遅れもあり、特に奥能登エリアでは観光受け入れの態勢を整えるまでに時間を要しています。

江川:地域によって復興状況に大きな差があることも課題でしたね。金沢市以南のエリアは比較的早期に受け入れ態勢が整いましたが、奥能登を中心とした能登エリアは復興復旧の途上にあり、観光支援策の対象になれないなどもありました。

——そうした課題に対して、どのように取り組まれたのでしょうか。

伊藤:3月に北陸新幹線が敦賀まで延伸したことを契機に、観光面での復興支援が本格的に開始されました。北陸応援割を活用し、まずは受け入れ可能な金沢市以南のエリアで観光客の誘致や情報発信を開始しました。また「日本の旬 北陸(※)」キャンペーンを2024年上期開催として本社と連動して準備を進めてきましたが、地元支店としてこの環境下での「日本の旬」という表現や開催について一度は実施を悩みました。しかし、「石川県にどんどん来てほしい」という地元の声、や支援の力にしていく必要性に後押しされ展開することができました。

※ 「日本の旬」は1998年から続く、JTBの国内観光地活性化を目的としたキャンペーン。「日本の魅力を再発見」をテーマに、半年ごとに1つのエリアに焦点を当て、国内の観光地活性化への貢献を目指すことをコンセプトにしている。

江川:エリアが復興したときに再び来ていただけるよう、まずは石川県に関心を持ち続けていただくための情報発信に力を入れました。また、石川県だけでなく、新潟や富山、福井にも地震の被害は及んでいたので、北陸全体を視野に入れた広域的な復興支援を心がけましたね。

伊藤:具体的な取り組みのなかでも、JTBグループ各社が、それぞれの強みを生かした支援活動が展開できたと思います。例えば、地震の影響で縮小、中止となった石川県七尾市の七尾港まつりを再現することで能登を応援するイベントとして実施された「七尾港まつり in Tokyo」の運営を、東京の事業部がお手伝いさせていただきました。また、JTBパブリッシングでは「るるぶ石川応援復興版」を発行し、石川県知事のインタビューや著名人からの応援メッセージを掲載。石川県内の小中高校に寄贈するなど、能登の現状を広く伝える取り組みを行いました。

東京で開催された加賀屋「レプラカン歌劇団」のショーには多くの観客が詰めかけた(※2024年10月~12月に東京にて開催。2025年1月現在は営業終了)

伊藤:そのほかにも、現在営業停止を余儀なくされている七尾市の和倉温泉加賀屋さんとアサヒビールさん、JTBのビジネスソリューション事業部が共創し、加賀屋さん擁するレプラカン歌劇団のショーを東京で行いました。披露する場や機会をご提供すると同時に、レプラカン歌劇団をご存じなかった方にも知っていただける、復興後にもつながる取り組みだったと思っています。

江川:観光を通じた復興支援が大きな役割ではあるものの、単にお客様を送り込む、受け入れるということではありません。地域の方々の声に耳を傾け、今できることと、将来に向けて準備すべきことを見極めながら、段階的に支援の形を変えていく必要があります。地域に寄り添いながら、長期的な視点で復興支援に取り組んでいきたいと考えています。

未来を見据えて、観光が紡ぐ復興の道

——24年9月には豪雨被害もありました。復興への道のりはまだ続きますが、今後どのような支援を考えていらっしゃいますか。

伊藤:まずは、能登半島を忘れないようにすることが非常に重要だと思っています。日々報道される新しいニュースや話題に世間の関心が移り、能登が忘れ去られてしまうことは少々心配です。和倉温泉や輪島の宿泊施設など、再建には2年以上かかる見通しのため、その間風化させないよう、しっかりと現状や魅力を発信し続けていくことが重要だと考えています。

江川:私たちの事業領域の基盤でもあるツーリズムに多くの期待が寄せられているのを実感しています。「こんなときに観光なんて」という声もありますが、観光業に携わる方々からは「むしろ今こそ来てほしい」という声も多く聞かれます。地域の実情に合わせて、できることを継続して行っていくことが大切だと考えています。

石川県輪島市鳳至町袖ヶ浜の海岸

伊藤:また、単なる観光地としてだけでなく、例えば地震の影響で隆起した海岸などについて、石川県などが自然公園「ジオパーク」、震災遺構として保存していく動きがありますが、旅行会社からの立場としても、防災教育や復興応援ツアーなどへの活用による復興支援や教育サポートにもつなげ、学生団体など、さらに多くの方にお越しいただくきっかけになればと思っています。

江川:そうですね。さらにいえば、能登半島全体の復旧・復興に向けた地域・まちづくり、観光振興などにもJTBとして最大限協力していきたいです。震災やコロナ以前の交流人口の誘致など、地域貢献にも努めていきたいと考えています。

石川の魅力、再発見の旅へ

——最後に、石川・能登への旅を考えている方へメッセージをお願いします。

伊藤:石川の魅力は何と言っても人の優しさですね。「能登はやさしや 土までも」という言葉がありますが、本当に皆さん受け入れるホスピタリティとおもてなしの心を持っておられます。食べ物や文化はもちろんですが、それを迎える人の気持ちがあるからこそ、心温まる訪問ができる場所だと思います。石川県の「今行ける能登」というサイトでは、代表的な観光地の最新情報を把握できるようになっていますので、それを確認しながら、ぜひ「旅して応援、食べて応援、買って応援」をいただけると嬉しいですね。

江川:冬は海の幸を中心に食の魅力が増す季節です。カニをはじめ、甘エビ、寒ブリなど、新鮮な海産物を味わっていただけます。また最近では、地元ブランドのブリが高値で競り落とされるなど、冬の味覚には事欠きません。まずは石川県に来ていただき、できるところから見て、食べて、体験していただきたい。それが私たちの願いです。

写真:田川紘輝
文:大西マリコ
編集:花沢亜衣
取材協力:料理旅館 金沢茶屋

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