先生が、生徒が、紡いできた修学旅行の歴史。
時代と共に変わったこと、変わらないこと。
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皆さんの胸に、強く印象に残っている旅といったら何でしょうか。卒業旅行、新婚旅行、家族旅行など、人によってさまざまだと思いますが、きっとそれらと同じくらい、それ以上かもしれないのが「修学旅行」ではないでしょうか。
多くの人が、一度は経験したであろう修学旅行。しかし、その歴史や変化は意外と知られていません。そこで今回は、修学旅行の発展に大きな役割を果たしてこられた「日本修学旅行協会」から竹内理事長をお招きし、JTBで修学旅行に携わってきた2人とともに、その歴史を紐解き、隠れたエピソードなどを語り合ってもらいました。
公益財団法人 日本修学旅行協会 理事長 竹内 秀一
主に高校で勤務し、修学旅行の引率やプラン作りに長く携わる。校長となり修学旅行の実行委員会に所属後、現在の理事長職を引き継いだ。協会を統括しながら月刊誌の編集や掲載レポートの執筆なども行っている。実は自身が修学旅行で奈良へ行った際に、蘇我氏が屋敷を構えた丘から飛鳥全体を見渡して古代史に思いを馳せたことが、日本史の教員となったきっかけなのだそう。今も休日には史跡を見にいくことが多い。
JTB ツーリズム事業本部 事業推進部 法人営業チーム 法人営業担当部長 藤川 誠二
入社後、千葉支店で15年間、教育事業の営業を担当。その後、本社勤務などの異動を経ながらも教育事業に関わり、千葉支店長から現職へ。全国の教育事業の統括責任者。これまで、およそ150回もの修学旅行を経験している。休日は自宅近くを散策することが多いが、修学旅行バスなどを見ると、つい「どこから来たのかな」と気になってしまうとか。
JTB グループ本社 人財開発チーム 人財開発担当 穴水 理沙
入社後、教育第一事業部に所属し、教育事業の営業を経験。都内の公立・私立の中学や高校を担当した。現在は人財開発チームに所属し、人財開発・育成を担当。教育事業担当者の育成にも携わるため、今後も間接的に修学旅行へも関わっていく見込み。最近、観葉植物にハマり、休日は都内のお店を巡っている。
※ JTBグループでは、“人材”は「企業や組織の成長を支える財産となる大切なリソース」であるという意思を込め、“人財”と表記している。
穴水:JTBでは長年に渡り、学校行事の企画・運営を担う「教育事業」を展開してきました。代表的なものの一つが修学旅行であり、パートナーとして日本修学旅行協会とともに歩んでいます。
竹内:日本修学旅行協会は、当時の文部省・運輸省・東京都・国鉄の4者合意に基づいて1952年に設立されました。戦後に修学旅行が復活して、旅行先・交通機関・宿泊先などが大変に混雑し、そのなかで学校間の問題も多発。これらを調整することが主な目的でした。現在は、教育旅行の実態調査、研究発表会や月刊誌による情報発信などで教育旅行における環境を整備し、さらなる向上・発展を目指しています。
私自身は協会に所属する以前は、神奈川県や東京都の高校に勤務し、社会科の教師として修学旅行の引率やプラン作りにずっと携わってきました。校長になってからは管理職で構成される修学旅行の実行委員会に所属し、その後当協会の理事長を引き継いで現在に至ります。
戦争が背景にあっても、「学び」に目を向けていった修学旅行。
修学旅行はじまり~太平洋戦争前
穴水:修学旅行の歴史について、竹内様が書かれた記事を拝読しました。そこでも書かれていたように、修学旅行のはじまりは1886年とのこと。初期の修学旅行とは、どのようなものだったのでしょう。
竹内:1886年2月に、当時の東京師範学校(筑波大学の前身)が実施した、千葉県銚子方面への「長途遠足(11 泊12 日)」が最初だというのが定説です。文字通り「長い遠足」で、富国強兵の時代ですから行軍訓練や体力強化が目的だったのでしょう。ただしその途中、鉱物や貝類の採取、史跡の見学といった学術的な要素を盛り込んだものでした。
ところが1888年にはすでに、当時は大阪にあった第三高等中学校が行程の一部で列車を使った記録があります。このことから、遠足の体力強化・兵士育成という側面が徐々に薄れていったのではないかと推測しています。たとえば、それまで文部省令によって定められていた「兵式体操」も、1901年には「体操科」、いまでいう「体育」として正式な授業になっています。その結果、修学旅行からは軍事色が薄れ、現在に通じる「学び」を中心とした修学旅行になっていったのではと考えています。
穴水:はじまりが行軍訓練だったとは知りませんでした。かなり初期の段階で、修学旅行の原型が出来上がっていたのですね。
竹内:ただ、そうは言っても太平洋戦争までは国として軍事色を強めていく時代です。学びの修学旅行とはいっても、その行先には時代性が表れています。たとえば当時、日本が勢力を伸ばしていた旧満洲や朝鮮半島へ行ったという記録がいくつも存在します。1905年の記録には、福岡県の学校が博多から中国の大連へ行き、そこから奉天や平壌、ソウルなどを巡って戻ってきたとあります。あるいは国内の修学旅行でも、軍艦や軍事施設の見学が行程に含まれてくる。そういった形で、学びといえども軍事色が強くなっていった時期だったようです。
この頃の出来事を知る手段としては、各学校に残っている周年誌などを見ることくらいしかありません。それも、さほど豊富な記録があるわけではなく、多くのことはわかっていません。JTBとして何か記録などは残されていますか。
藤川:「JTBグループ100年史」(以下、100年史)というものがありまして、私も今回の対談にあたりあらためて読んでみましたが、修学旅行に関する記録は、最も古くても太平洋戦争後。残念ながら修学旅行初期の記録はありませんでした。
混乱しながらも、交通手段など進化していった修学旅行。
戦中・終戦~修学旅行の復活
穴水:そして日本は太平洋戦争へ突入します。やはり修学旅行どころではなくなったのでしょうか。
竹内:そうですね、戦争末期の1944年と1945年は、修学旅行を実施した記録がありません。ただ終戦翌年には、すでに復活しているんです。
藤川:「終戦翌年の1946年(昭和21年)には、早くも修学旅行が復活している」という一文が、「100年史」にもありました。日本全体として広く復活したのはもう少し後のようで「1950年代半ばには全国的に拡大した」との記載があります。
竹内:ただ、復活後もしばらくは、かなり混乱していたようです。たとえば、列車が混み合い4人掛けのボックス席に6人で腰掛けていたとか、深夜の列車移動では通路に寝ていたとか。あるいは食糧難ですので、宿では食糧を確保できず、各自がお米を持参していたという話もあります。
藤川:「100年史」には、添乗員が「板」を何枚も持っていった記載がありました。座席と座席の間に板を渡して座席を増やしていたようです。ほかにも、「やかん」を持っていかなければならないとか、夜行列車に「火鉢」を持参したとも。当時はいろいろな意味で労力を伴う旅だったのでしょうね。
竹内:なお1955年には、中国四国地方の海上で、修学旅行中の児童、生徒などが犠牲となった船の事故が発生しました。大変痛ましい事故でしたが、これによって、修学旅行生の安全・安心を第一に考えるという流れが確立しました。
藤川:JTBとしては、終戦翌年から復活した修学旅行を拡大・推進していく過程において、そのような事故も教訓に、修学旅行の実態やあり方などを検証・検討していったようです。まさに日本修学旅行協会と協力してモデルコースを作成したり、啓発活動を実施した記録が残っています。
高度経済成長期(1955年~1973年)
穴水:戦後の修学旅行で、最初の転機はいつ頃だったのでしょうか。
竹内:1958年に、教育課程の中で修学旅行が「授業」と同格に位置づけられたことでしょうか。それまでは課外活動的な捉え方がなされていました。
修学旅行専用列車「なかよし号」
藤川:この年に省令が改正され、「国民的見地からの国の文化中心地や重要地を見聞する経験をもたせることは極めて有用であるとされ、修学旅行の教育課程上の地位が確立された」と記載がありますね。
そして同年に、修学旅行特別列車が新規製造されると決定したそうですが、輸送における環境改善の一翼を私たちとしても担ったことが記録に残っています。
穴水:そのような働きかけもあって、修学旅行専用列車が普及していったのですね。新幹線ができるのは、まだ先ですものね。
竹内:新幹線は1964年に東京~新大阪間が開通しましたよね。徐々に私立学校から利用が進み、都立高校で最初に利用されたのは1968年です。そして、戦後初の海外への修学旅行は1972年です。宮崎の高校が韓国を訪れました。その後1978年には、福岡の県立高校が公立学校として初めて、飛行機を利用した記録があります。
穴水:この頃のトピックスとして、ほかに何か興味深いお話はありますか。
藤川:1962年から「お母さんの修学旅行」というものが、東京都修学旅行委員会と日本修学旅行協会の共催で企画・実施されていました。子供たちの修学旅行を父母にも体験していただき、理解を深めてもらう主旨だったようです。「約5,000人もの参加があり大好評で、当時のマスコミにも大きく取り上げられた」との記録には、ちょっと驚きました。
初代の新幹線「0系」の前で
学校間・生徒間への配慮で、先生方には苦難の時代も。
昭和後期~平成初期
竹内:その後、バブル時代などにかけては、修学旅行にあまり変化がない時期ですね。
藤川:JTBの記録にも目立ったものはありません。修学旅行の内容やスタイルとしては落ち着いていたといえそうです。ただ、修学旅行の現場としては、苦労が多かった時代でしたよね。当時は、「生徒が先生に隠れて…」とか、「学校どうしが小競り合いに」といったトラブルが、もっとも盛んでした。
竹内:仲の悪い学校どうしが旅行先で鉢合わせしないよう、実施期間をずらす調整を校長会でしていたくらいです。下手をすれば何が起こるかわからない(笑)。見つけてはいけないものが見つかる、なんてことも問題に上がっていましたよね。それを対処する先生方も大変でした。穴水さんの頃には、そんな話はないですよね。
穴水:自分の修学旅行でも、社会人になって添乗した修学旅行でも、そのようなことを意識したことはないですねぇ。
藤川:まさに私が修学旅行生だった頃や、入社して添乗員になりたての頃が、そんな時代でした。添乗した際に、他校の学生がこちらのバスへ乗り込んでくるのを、身を挺(てい)して止めたりしたものです(笑)。大きな道路沿いの旅館で、前を通る暴走族を生徒が煽り、揉めたりもしました。いまだから笑い話ですが、先生方は大変でしたでしょう。
竹内:生徒たちは、夜中に隠れて何かしようと考えていました。たとえば、布団を被って麻雀をしていたり、抜け出して別室へ行ったり。引率の先生たちは、夜中に生徒たちを見まわるため、睡眠時間が実質3時間ほどでしたよ。
藤川:そんな状況も、2000年に「総合的な学習の時間」が導入されたことで変化を見せます。あちこち見学するだけの「物見遊山」的な内容ではなく、体験重視型になったんですね。生徒自身で計画を立てたり、現地で何を体験するか決めたりできるようになり、旅行前から修学旅行がスタートするものに変わりました。
その価値を、高めた改訂と再認識させたコロナ禍。
2020年からの、学習指導要領の改訂
穴水:さらに現在までにおいて、修学旅行の転換点といえるような出来事はあったのでしょうか。
竹内:やはり大きいのは、ここ数年の間にあった「学習指導要領の改訂」と「コロナ禍」でしょう。
藤川:学習指導要領の改訂は大きいですよね。教育課程に「探究的な学習」が取り入れられ、これを修学旅行の中にも求める学校が増えました。自分で課題を見つけて研究をし、アウトプットするのは簡単ではありませんが、それを修学旅行に紐づけると、生徒たちが取り組みやすくなるようです。今後のトレンドだろうと思っています。
竹内:そうですね。探究的な学習が大きな柱となり、その実施は学校だけではとても無理で、社会の力を借りなければならない。改訂ポイントの一つは、体験活動を重視し、体験の中でさまざま学ぶこと。もう一つは、人との交流。こうしたことを通して、主体的・対話的で深い学びを実践することだとしています。とはいえ普段の学校生活の中ではやり切れないので、修学旅行を利用しようという考え方ですね。
また、以前の学習指導要領までは「特別活動」に関することを「総合的な学習の時間」に行うことはできませんでした。しかし、学習指導要領の改訂によって、いまは総合的な学習の時間を使って、じっくり事前・事後の学習ができます。このため修学旅行の成果を、より深めることができるようになったといえます。
穴水:なるほど、学習指導要領の改訂が、修学旅行の価値や必要性をより高めたのですね。
約3年、修学旅行も苦しめた新型コロナ
穴水:学習指導要領の改訂が、新型コロナの流行と重なったんですよね。コロナ禍の中で、修学旅行のあり方や、修学旅行の価値が社会的に見直されました。感染リスクがある中で修学旅行をやるべきかが問われたわけです。しかし結局、生徒にとって修学旅行というものは、とても大きな学びの機会であることが再認識されました。
藤川:2020年度は、ほぼすべて中止でしたが、2021年度に入ってから学校では何とかして修学旅行を実施すべきと考えるようになり、万全の対策をして近場で実施した自治体が多くありました。2022年になると、遠距離でも実施すべきだと考える学校も出始め、実は2022年度には8割がた復活していたというのが実態です。そして2023年は、修学旅行と「学び」の連動が加速しています。学習指導要領の改訂と新型コロナの影響が交わって、いま修学旅行が新たな展開を見せていると感じます。
穴水:コロナ禍中、日本修学旅行協会では、どのようなことに取り組まれていたのでしょう。
竹内:協会として力を入れていたのは「情報発信」です。ある地域がコロナ禍でも修学旅行を実施し、成功させた実践例や感染対策を雑誌などで紹介し、修学旅行の実施検討を促していました。
藤川:修学旅行は、鉄道会社や航空会社、旅館やホテル、バス会社なども関わって2年前から提案・計画していますので、中止や延期の影響は大きいものでした。しかしコロナ禍において、旅行会社だけでなく各事業者が、復活の時期を見据えて一致団結したことが、私は本当にうれしかったです。
穴水:修学旅行には行けなくても、何となくそれに代わる思い出がつくれないかと、JTBでもいろいろなことにトライしましたよね。
藤川:「VR(バーチャルリアリティ)修学旅行」というものを実施しましたね。子供たちが体育館に集まって一緒に仮想体験をしたある学校では、みんなで楽しめたことが生徒にとっても先生にとっても、よい思い出になったと言っていただきました。
穴水:修学旅行が中止となった川崎市内の小学校の全6年生を対象に、3日に分けて近隣の遊園地を貸切にして、みんなで楽しんだイベントもありましたよね。本当は日光へ行く予定だったため、日光からカレーを取り寄せて食べたというお話も聞きました。
修学旅行ならではの体験が、人生を変える交流になることも。
穴水:先ほどのお話の中で「体験活動の重視」と「人との交流」というお話がありました。JTBでは「交流創造事業」を掲げているのですが、お二人が修学旅行の現場で目にしてきた交流には、どのようなものがありましたか。
竹内:コロナ禍前までは、農村や漁村での民泊が伸びていました。そこには、都会の子供たちが両親や兄弟と一緒に食卓を囲む機会が少ないという背景があります。宿泊先では食事だけでなく、そこのご家族との暮らしを体験しますので、交流も生まれます。戻って来てから「家族との会話が増えた」「積極的に登校するようになった」といった変化が生まれているようです。また、私は体験において「自分とは違う価値観」に触れることが、とても大事であると考えています。以前は陶芸体験などといっても、30分ほど絵付け作業をして終了。これでは体験と呼べません。しかし最近は、職人が作業する生徒たちの間をまわって、いろいろな話をしながら手ほどきしてくれる。
穴水:体験を超えた交流ができているということですね。いろいろなモノの見方や人の生き方があることに気づかされます。
竹内:ほかにも、ある学校の生徒が修学旅行で初めて韓国を訪れてからのエピソードがあります。学校交流を通じて韓国の魅力を知り、そこから韓国語を勉強し、韓国へ留学もされて、希望していた韓国の航空会社でキャビンアテンダント職へ見事に就かれたとのこと。しかも、韓国の方と結婚もされたそうです。やはり交流には、見学などでは得られない生徒への影響があると思います。
藤川:私たちの身近な存在にバスガイドがいますが、まさに修学旅行で案内してくれたバスガイドに憧れて、自分もガイドになられたという方は多くいらっしゃいますね。また当社の話にはなりますが、同じように私たち添乗員へ憧れて旅行業界を目指し、JTBへ入社した社員もいます。
穴水:そうなんです。実際、私が添乗した修学旅行で、私のことを見ていてくれて、高校卒業後にJTBグループの観光専門学校へ進学してくれた生徒さんがいました。その後JTBへ就職が内定し、私へ連絡をくれたのが本当にうれしかったです。
その変わらない本質で、これからも大切な思い出になる修学旅行を。
穴水:学校生活における記憶の中でも、きっと多くの人にとって修学旅行は特別なものでしょう。私たちJTBとしては今後も真摯な姿勢で、すてきな思い出づくりのお手伝いをしていかなければいけませんね!
藤川:当社で教育事業に関わる社員は、「学校と社会をつなぎ、旅行・交流・体験を通じてよろこびと感動を与え、未来を担う子供の成長をサポートし続ける存在となる」というビジョンを共有しています。多様化する中でも、このビジョンのとおり、未来を担う子供たちの成長をサポートし続けるJTBであり続けたい。
だから若い社員には、教育そのものに関わっていることを意識してもらい、日本の未来を担う人財の育成などに関わる、尊い事業であることに誇りをもってほしい。その根幹にあるのが修学旅行であり、そこから派生する行事に対しても、全力投球で頑張って欲しいと思っています。
穴水:私は、いま以上に生徒たち自らで、どの方面へ旅行したいかを考えられるようになればと思っています。生徒自身で学びたいことから場所を選べるようになると、修学旅行はより多様化するでしょう。いずれは海外に留まらず、宇宙への修学旅行も実現するかもしれません。
藤川:日本修学旅行協会として、今後どのような取り組みに力を入れていこうとお考えですか。
竹内:やはり、小・中学校は義務教育ですから、経済的な理由で修学旅行をあきらめる生徒がいてはならないと考えています。また、いま各学校を悩ませているのが、物価高によって旅行費用が膨らんでいることです。これらへの支援策の検討を各方面にお願いしているところです。
そして修学旅行の中身としては、人との交流をさらに増やしていく方向でプログラムが拡充されるよう、協議や支援活動を継続していきます。
藤川:私は「修学旅行の本質」というものを、ずっと大切にしていってほしいと思っています。それはまず学習指導要領の特別活動に関する考え方だと思っていますし、今後も変わらないのではないでしょうか。
竹内:そうですね、学習指導要領の特別活動の中にある「旅行・集団宿泊的行事」で言っていることは、ほとんど変化していません。これが本質に近い部分だといえるでしょう。そこでは、いつもとは違う環境で見聞を広め、自然や文化に親しみながら、社会性を育む体験ができる活動であると述べています。外へ出て五感をもって実体験することで、学校の中では得られない「学び」がある、その代表が修学旅行ではないでしょうか。
藤川:そして、その「学び」の要素はますます重視されてきていますが、子供たちがいちばん楽しみにしているのは昔から変わらず、いつもとは少し違う「友達との時間」や「先生とのふれあい」です。友達の知らなかった一面に驚く、あるいは先生の見たことのない表情に惹かれる。それは、きっと永遠に変わらない修学旅行の魅力でしょう。これからも、学校の授業の延長であることが強調され過ぎない、修学旅行であってほしいです。
時代に合わせて変化してきた修学旅行ですが、一方で変わらないものもある。その本質的な魅力を大切にしながら、これからも修学旅行に携わっていきたいと思います。
国の重要文化財である鉄道開業時に使用された「1号機関車」の前で
撮影協力:鉄道博物館
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