感動体験がいい未来をつくる力となる。JTB社長 山北栄二郎が語る「交流創造事業」の可能性
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地球を舞台に、人々の交流を創造し、平和で心豊かな社会の実現に貢献する――。(JTB グループ経営理念より)
私たちJTBグループは事業ドメインを「交流創造事業」と定め、旅行にとどまらず、人と人、自然、地域、文化など、地球を舞台にあらゆる「交流」を生み出し、「より良い未来」につなげる取り組みを行ってきました。
今回は、JTBの代表取締役社長である山北栄二郎にインタビューを実施。山北が体験してきた「交流」とはどのようなものなのか、また、それを「創造」することで生まれる「価値」とは何なのか、さまざまな角度から「交流創造」を紐解きます。

代表取締役社長 山北栄二郎
1963年生まれ、福岡県出身。1987年、早稲田大学卒業後、日本交通公社に入社。本社経営企画室等を経て、旅行事業本部グローバル戦略担当部長、JTB欧州代表、常務執行役員などを歴任。ツムラーレ・コーポレーション社長、トラベルプラザ・ヨーロッパ社長、クオニイ・トラベル・インベストメント会長など経営のトップを務め、海外戦略推進に携わる。2020年6月より現職。
幼少期から育まれた「世界を知りたい」という想い
――本日は「交流創造事業」に対する山北さん自身の想いを聞かせていただきたいと思います。まずは、山北さんの「交流の原体験」について教えてください。

山北:大学時代、私は英語でディベートやディスカッションを行う「英語部」に所属し、交換留学生や海外の大学教員など、さまざまな国の人々と交流する機会に恵まれました。特に印象深かったのは、アメリカ人の友人との出会いです。彼は1カ月ほどの滞在でしたが、週末になるとよく一緒に出かけては、多くのことを教えてくれました。
例えば、一緒にレストランに行くとアメリカとの「サービスの違い」について語り合うんです。アメリカでは店員さんが「美味しかった?」「他に何か必要ですか?」と積極的に話しかけてくるのに対し、日本では基本的に必要最低限のやり取りで終わることが多い。彼は素っ気なく感じたようで、「日本のサービスは優れている」と思い込んでいた私にとっては驚きでした。
「どちらが良いか」を比べるのではなくて、そういった「違い」を知ることこそが面白かったのだと思います。
――山北さんは幼少期から語学や海外への関心が強かったのでしょうか。

大学時代、英語サークルの大会にて。
山北:そうですね。父の影響が大きかったと思います。「日本もどんどんグローバル化していく必要がある」と、よく聞かされましたね。父は海外文学やクラシック音楽が好きで、家には本やCDがたくさん置いてありました。本やCDを勝手に借りては「フランスの小説ってこういう感じなんだ」「世界の音楽ってこういう感じなんだ」と海外への関心を広げて過ごしていました。
また、高校生の頃、英語を流暢に話す先生がいて「かっこいいなあ」と憧れていたんです。ある日その先生から「あなたは英語ができる」と褒めてもらったことがきっかけで英語が好きになり、大学では英文学科、さらに部活も英語部に入り、本格的に異文化交流に関心を抱くようになりました。
――そういった「交流」の経験から、日本交通公社(現:JTB)を就職先として選んだのですか。
山北:はい。当時の私には海外への単なる「憧れ」を超えた「渇望」のような思いがあったんです。他の業界も含め幅広く検討していましたが、JTBの入社試験を受けた際、社員が国際電話で海外とやりとりしている姿を目の当たりにし、「まさに自分がいたい世界はここだ」と思い入社を決めました。
実際に入社した後も、仕事で海外へ行く機会はたくさんあって大きなやりがいを感じていました。しかし同時に、海外経験を重ねるにつれて交流の難しさも実感するようになりましたね。
「自らマイノリティになる覚悟を持つ」初めての海外駐在を経て
――交流の難しさとはどのようなものだったのでしょうか。

山北:最も苦労したのは、ハンガリー支社長として赴任したときでした。初めての海外駐在で、社員のほとんどがハンガリー人。そのような状況のなか、私は社長として赴任しましたから、本社から与えられたミッションを果たさなければなりませんでした。
しかし、日本人とハンガリー人では「仕事の仕方」に大きな違いがありました。例えばお客様が来店されたときにビルの受付カウンターでお弁当を食べていても、ハンガリーの人たちにとっては特に失礼には当たらないようなんです。日本人のお客様からすれば驚くような光景ですよね。
そういった「違い」に触れたとき、つい「日本ではこうするのが普通なのに!マナー違反だ」と相手を責めてしまいそうになります。でも、相手からすれば、突然日本人社長がやってきて一方的に非難されたら、より警戒してしまうのは当然です。
実際これは単なる文化の違いであって、そこに良いも悪いもありません。ですから、まずは受け止める必要があります。「なぜハンガリーではそうなのか」と聞きたくなる気持ちも一旦は抑えて、まずは「ありのまま」を受け止めることを心がけました。
――社長という立場ですと「日本人にとってのスタンダードに合わせなくては」と気負ってしまいそうですが、そこはグッと抑えたのですね。

ハンガリーのあとは、デンマーク、オランダにて勤務。オランダのチューリップ畑にて。
山北:みんなでワインフェスティバルに出かけたり、ハンガリー語が全く分からない私の買い物に付き合ってもらったりしながら、時間をかけて少しずつ信頼関係を築いていきました。社長という立場でしたが、「教える」よりも「教えてもらう」ことの方が圧倒的に多かったと思います。
相手のことを知るためには、「自分がマイノリティになるんだ」という覚悟を持って、勇気を出して輪のなかに入っていく必要があるということを身をもって知りました。そうでないと、その溝は永遠に埋まらないですから。
直接話すことでしか伝わらない想いがある
――ハンガリー赴任から始まり、それから約10年間JTB欧州代表を務め、ちょうどコロナ禍の2020年に社長に就任されました。コロナ禍で不安も高まるなかで、130人の支店長一人ひとりとオンライン1on1を実施されたそうですね。

山北:コロナ禍で移動が制限され、私たちの旅行業はストップせざるを得なくなりました。世の中では「旅行は不要不急」と言われ、社員たちの不安はとても大きかったと思います。その不安を少しでも和らげるには、「直接話すこと」が一番だと思いました。
JTBがこれからどこに向かっていき、私がいま何を考えているのか、一人30分という少ない時間ではありましたが、お話させていただきました。「社長メッセージ」として一斉配信するというやり方もあったのですが、それでは私の気持ちが伝わり切らないと思ったんです。
――山北さんが「直接話すこと」を大切にされるようになったきっかけはありますか。
山北:ヨーロッパ駐在時代、「現地の社員とのコミュニケーションに苦労した」と話しましたが、大変だったのは実はそれだけではなく、本社とのやりとりにも苦戦していました。

日本とヨーロッパのビジネスの違い、働き方の違い、コミュニケーションの違い、それら一つひとつを学びながら業務を回していかなければならないなかで、本社からは売り上げを求められます。現地での苦労は本社にはなかなか伝わらず、相談しても「難しいよね」と簡単に済まされてしまうことが多く、「もう少し歩み寄ってくれてもいいのに」という本音も少なからずありました。
社員たちにも同じ思いをさせてしまっては、コロナ禍も重なって不安が増すばかりだろうと。直接話すこと、つまり小さな単位での「交流」を私が最も大切にするのは、自分がそれをしてもらえなくて苦労した経験があったからかもしれません。
改めて「旅の価値」と向き合ったコロナ禍
――そんなコロナ禍を経て、JTBは本格的に「交流を創造する会社」へとリブランディングを行いました。あらためて「交流創造」という言葉の誕生についてお聞かせください。

山北:JTBが創立100周年を迎えた2012年から「交流文化事業」という言葉を使っていましたが、自らその機会を作っていく必要性から2018年に「創造」に変更したんです。
ただ、「交流創造」とはいえ、実際のところ、しばらくは旅行業のままだったと思います。いま一度「交流創造」とはどういうことなのか、向き合うきっかけになったのが2021年のコロナ禍でした。
移動が制限され、旅行は不要不急と言われた。でも、本当にそうなんだろうかと。少なくともJTBの歴史において、私たちは数多くのお客様の旅行とその先にある交流をお手伝いし、喜んでいただいてきました。それは紛れもない事実です。人々がそこに価値や魅力を感じてくれていたからこそ、私たちの歴史があるのではないかと思ったんですね。
――価値があるからこそ続いてきたはずだ、と。

山北:はい。人間の「移動」に関する歴史を遡ってみると、そもそも人はアフリカで誕生し、世界中を移動しながら進化してきた動物であることを知りました。ある人類学者は、移動こそが人を特徴づけるものだと提唱し、「ホモ・モビリタス(移動する人)」と名付けています。新しい土地に行って「何かに触れたい」という本能があるから。その「何か」は他の動物であったり、食べ物であったり、気候であったり、さまざまですが、その「何かに触れる行為」を一言で表すと、まさに「交流」なのではないでしょうか。
旅で生まれるものが「交流」であり、「交流」とは人間が本能的に求めるものである。これが私なりの答えでした。
コロナ禍では「バーチャルトラベル」にも挑戦しましたが、そこで浮き彫りになったのは、どれだけバーチャルを追求してもリアルには及ばないということです。例えば、ハワイの空港に降り立った瞬間に感じる風、パリの独特の香り――。こういったものは現地の空間に身を置いてこそ感じられるもの。「交流」とは人間の五感を通じて行われるものであり、私たちがずっと大切にしてきたのはそういうことだったのだと、コロナ禍が教えてくれました。
交流には社会を良くする力がある
――JTBグループが目指す「価値創造プロセス」のなかに「人と人、人と地域、人と組織をつなげる」という一文があります。この英訳が「Bring People, Places and Possibilities Together」となっていますが、この英訳に込めた想いを聞かせてください。

山北:英訳は翻訳家の方にアドバイスをいただいて完成しました。「交流」を直訳すると「exchange」になるのですが、当時それではしっくりこないと感じたんです。
私たちが創る交流は、単に「AとBが交わる」ということではありません。交流とは「人」と「場所」が介在してこそ生まれ、さまざまな「可能性」を生み出すもの。「Possibilities」には「学びの力」「平和の力」「経済の力」「健康になる力」など、交流が育む多様な可能性が込められているんです。
――交流が持つ可能性について、もう少し詳しく伺えますか。
山北:交流をすることで、他の国や地域の文化を学んだり、新たな人の流れが生まれ経済の活性化につながったりするなど、「学ぶ力」「経済の力」に関しては、もしかしたらイメージがつきやすいかもしれませんね。ここでは「平和の力」を取り上げてみましょうか。
私がJTBに入社して2年目くらいの頃に、仕事でアラブ首長国連邦を訪れる機会がありました。当時は湾岸戦争があり、テレビで見る限りは「中東=常に戦っている」というイメージが私のなかにあったんですね。ところが、実際に現地の旅行会社や石油会社の方々と会話をすると、私たちと変わらない一人の人間がそこにいる。テレビを見ているだけではそんな当たり前のことさえ忘れてしまいがちですが、実際に現地の人々と交流したからこそ、この経験が強く心に刻まれました。
また、気候変動についても、旅のなかで自然の美しさに触れることで「この景色を守りたい」と思えるようになる。伝統的な街並みや遺跡にしても同様に、一度その美しさに触れると「残したい」という気持ちが湧いてくると思います。交流はそういう形で社会を良くする力を持っているんです。
JTBの強みは、110年の歴史に宿る「DNA」
――さまざまな可能性を秘める「交流」をJTBはどのように「創造」していくのでしょうか。

山北:そこがまさにJTBの強みが発揮されるところです。「交流」を生み出そうとするとき、例えば旅館での食事一つを取っても、料理人の方はもちろん、その食材を作った農家さんや旅館のスタッフさんなど、実に多くの方々の想いが詰まっています。お客様の記憶に残るような体験は、私たちだけでは創り上げることができません。だからこそJTBは、多様な事業パートナーのお力をお借りしてここまで歩んできました。
事業パートナーの皆さんと関係を築くうえでは、喜びだけでなく、苦労することももちろんあったと思いますが、社員たちが各地で積み重ねてきた歴史があるからこそ、JTBにしかできない交流を生み出せると信じています。
極端な話、例えば沖縄で新たな「交流創造事業」を生み出そうとしたとき、沖縄に行ったことがない人たちだけで集まっても、人々を感動させられるようなアイデアは生まれません。JTBグループには沖縄に根差した会社「沖縄JTB」があり、その土地で暮らし、地域との関係性を築き上げるために努力してきた社員たちがいる。110年の歴史のなかで紡いできた「DNA」があるからこそ生み出せる「交流」があるんです。

1912年、ジャパン・ツーリスト・ビューロー設立時の記念写真
――今後、JTBが「交流創造事業」を通じて描いていく未来とは、どのようなものであると考えますか。
山北:この先の旅はより一層「未来につながるもの」でなくてはなりません。そのためには、移動に伴う二酸化炭素のオフセットやフードロス対策、地域の持続的な発展のためのオーバーツーリズム解消など、一つひとつの課題に取り組んでいく必要があります。これらの課題解決に不可欠なのは、人と人がつながり「共創」していく力です。
デジタル技術の進歩により時間や空間の制約を超えて、世界中の人々と交流し、共創できる時代が訪れました。それにより交流の可能性はさらに広がっています。人、場所、文化、自然など、多様なものが交流する機会を創出し、より良い未来を築いていくこと。それこそが私たちJTBの使命だと考えています。
「どれだけ心の琴線に触れられるか」が勝負
――最近では、「若者たちの海外志向が薄れている」という話を聞くことがありますが、より多くの人たちに交流の価値や感動を知ってもらうために、山北さんは若者たちにどんなメッセージを届けたいですか。

山北:いまはインターネットでいろんな情報が入ってきますし、コロナ禍の経験もあって、私が若い頃に抱いたような海外への渇望は確かに薄れてきているかもしれませんね。
ただ、海外志向が低下しているかというとそうではなく、何かきっかけが不足しているだけではないか、とも思うんです。私自身、「JTBの社長」というと昔から海外経験が豊富な人物だと思われがちですが、実は初めて海外に行ったのは社会人になってからでした。
たまたま高校時代の先生に「あなたは英語ができるね」と褒めてもらえたことで英語を好きになり、たまたま大学で英語部に勧誘され異文化交流の魅力を知り、自分のやりたいことを叶えられるのがたまたまこの会社だった。そういった偶然が重なって、私はいまこの場所でこういう仕事をしています。
ですから、きっかけは何でもいいと思うんですよね。「この本に登場する絵画を実際に見てみたい」「この料理を本場で味わってみたい」など、少しでも好奇心が芽生えたら、ぜひその想いを大切に一歩でも外の世界に出てみてもらいたいです。そこでの体験が、必ず次の体験を呼んでくれますから。

――体験が体験を呼ぶ、ということですね。
山北:大人から「海外に行ったほうがいい」と突然言われてもピンとこないでしょうし、自分で「やりたい」と思ってこそ行動につながるものだと思います。
ただ、そういった好奇心を抱くきっかけをつくることは、私たちの重要な役目ですよね。例えば修学旅行や家族旅行、交流イベントなど、一度の体験であったとしても、どれだけ感動を与えられるか、どれだけその人の心の琴線に触れられるかが勝負なのではないでしょうか。
人は一度いい体験に出会えれば、必ずまた「次はこうしたい」が出てくるものだと思います。私たちはその想いに一つひとつ誠実に応えていく。そうすることで自ずと、私たちが目指す「交流の価値」も伝わっていくのではないかと考えています。
写真: 大童鉄平
文: 佐藤伶
編集: 花沢亜衣
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